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窪八幡と武田信虎、晴信(信玄)

 窪八幡の社殿は永正十三年(1516)の駿河の今川勢の侵攻により焼失します。現存する建造物の多くはその後、信虎により再建されたものです。
 信虎、晴信は人生の折々に窪八幡に祈願をしています。例えば、信虎は天正八年(1539)の自分の厄年に鳥居(現存)を寄進し、その際には晴信が信虎の代わりに窪八幡に社参に訪れています。また、本殿の金箔は弘治三年(1557)の第三回川中島合戦(前後五回のうちで最大の合戦)に際して晴信が押させたと言われています。武田氏滅亡に際しては、本殿裏の八本杉が倒れ社地が鳴動したとの伝承があります(武田氏滅亡と社地鳴動)。
 以下に信虎、晴信の生涯と窪八幡の出来事を年代をおってご紹介します。
西暦
年号
窪八幡での出来事 信虎の出来事 晴信の出来事
1494
明応三
 
 
  信縄の長男として誕生する(明応七年一月六日生まれとする説もあり)。
1498
明応七
8
25
大地震が起こり、堂塔がくずれる。  
1500
明応九
 
 
竹内大神本殿、高良神社本殿の屋根葺を行う。  
1503
文亀三
3
 
薬師堂が建立される。  
1507
永正四
2
14
  父信縄が没し家督を継ぐ。
1508
永正五
10
4
  叔父信恵を滅ぼす、信恵に与した岩手縄美も敗死する。
1510
永正七
 
 
  小山田氏と和睦する。
1511
永正八
8
8
夜半の大風により境内の大松が倒れる。社殿も被災する。  
 
 
 
 
総門が修造される。  
1514
永正十一
12
8
鳥居が建てられる(用材は永正三年に伐採されている)。  
1515
永正十二
10
17
  今川氏に援助された大井氏を攻めるが敗退する。
1516
永正十三
9
28
戦火に罹り焼亡する。 駿河勢が盆地に侵攻、万力で迎え撃つが、窪八幡神社ほかが戦火に罹る。信虎は恵林寺に避難する。
1517
永正十四
3
2
  今川氏と和睦が成立し駿河勢が盆地から退却する。
1519
永正十六
 
 
  この春、栗原、浦氏ら国人が対抗する。
 
 
12
20
  新たに建設した躑躅ヶ崎館に居を移す。
 
 
 
 
この頃、境内の復興が始まる。  
1520
永正十七
6
10
  反旗を翻した栗原信友らを破る。
1521
永正十八
2
28
  駿河勢が侵攻する。
 
大永元
10
16
  飯田原の戦いで駿河勢(福島勢)を破る。
 
 
11
3
    父信虎、母大井夫人の長男として積翠寺で誕生する。幼名、勝千代。曽根縄長が蟇目役を務める。
1522
大永二
 
 
  正月、駿河勢が撤退する。
 
 
 
 
普賢堂の再興が始まる。  
1523
大永三
8
19
  窪八幡に制札を揚げる。  
1524
大永四
7
20
  秩父へ出陣する。
1525
大永五
1
24
普賢堂、薬師堂、鐘楼などの建立・修築が始まる。  
1526
大永六
10
15
東寺の勧進僧が来訪する。  
1528
大永八
 
 
杉本観音堂の鰐口が鋳造される。  
 
享禄元
1
21
  飯富虎昌、栗原兵庫、浦信本、大井信業ら国人の抵抗があり、これを破る。
1530
享禄三
10
 
社叢中の大杉が燃える。  
1531
享禄四
 
 
本殿が再建される。  
1532
天文元
 
 
石造如法経塔が造立される、ついで教典が奉納される。  
 
 
9
 
  逸見信元が降伏、甲斐平定が実現する。
1534
天文三
 
 
薬師堂に扉が設けられる。  
 
 
 
 
御供殿が造立される、舞台も再建される。  
1535
天文四
2
 
「御秤石」が若宮北東に移される。  
 
 
 
 
舞台が修造される。  
1536
天文五
3
 
    元服し晴信と名乗る。
 
 
7
 
    三条公頼の娘を妻に娶る。
 
 
8
15
  大井夫人(晴信母)が窪八幡に詣でる。  
 
 
 
 
若宮拝殿が新造される。  
 
 
11
 
    信濃佐久郡の戦いに初陣する。
1537
天文六
 
 
拝殿が修築(屋根の葺き替え、腰壁の新造)される。  
 
 
2
3
引付(寺社で作成される記録)が整理される。  
1538
天文七
 
 
    長男義信が誕生する。
1539
天文八
 
 
  窪八幡の鳥居・平橋を造立する。 信虎に代わり窪八幡に社参する。
1541
天文十年
6
14
    父信虎を駿河に追放する。
 
 
12
23
    武田八幡宮の本殿を建立する。
1542
天文十一
5
23
「御門(総門のことか)」が建立される。  
 
 
7
4
    諏訪氏を破り、諏訪頼重を捕える。
 
 
7
21
    諏訪頼重、甲府で切腹し諏訪氏は滅亡する。
 
 
11
11
神庫が焼失する。  
1545
天文十四
 
 
    窪八幡に歌仙絵を奉納する。
 
 
 
 
窪川宮内小輔が橋弁慶図を奉納する。   伊奈に出兵する。
 
 
 
 
翌々年にかけて輪橋(反橋)・玉垣などが再興される。  
 
 
 
 
拝殿の屋根が葺き替えられる。  
1546
天文十五
 
 
    三条夫人が窪八幡へ社参する。
 
 
 
 
    勝頼が誕生する。
 
 
 
 
反橋が架けられる。  
1547
天文十六
6
1
    甲州法度之ノ次第が制定される。
1548
天文十七
 
 
狛犬が造立される。  
 
 
2
14
    村上義清と上田原で戦い敗戦する。
 
 
4
12
    窪八幡へ社参する。
 
 
7
19
    塩尻峠合戦で村上義清に勝利する。
 
 
9
25
勧進のため来甲中の高野山阿純上人が普賢寺を来訪する。  
1549
天文十八
4
3
    佐久郡春日城落城する。
 
 
4
14
    大地震が襲う。
 
 
9
4
    平原城が放火される。
 
 
10
11
薬師堂前の大木(枯木)が炎上する。  
 
 
 
 
本社(本殿)・若宮の社殿が修築(屋根)される。  
1550
天文十九
 
 
    窪八幡一の堰を開削させる。
 
 
2
 
鐘楼が修築される。  
 
 
12
7
    長男義信が元服する。
1551
天文二十
2
 
本殿前の兜懸石が、若宮北東の秤石の西隣に移される。  
 
 
5
7
    母、大井夫人が没する。
 
 
11
27
    今川義元の長女、長男義信の夫人として輿入する。
1553
天文二十二
4
 
鰐口が鋳造される。  
 
 
4
22
    信濃更級郡八幡で長尾景虎と交戦する。
 
 
8
11
甘利昌忠が高札を掲げる。  
 
 
9
1
    第一回川中島合戦
 
 
 
 
別当上之ノ坊普賢寺の住職であった権大僧都良舜が境内絵図「窪八幡神社境内古絵図」を作成する。  
 
 
 
 
拝殿が再建される。   窪八幡の拝殿を再建する。
1554
天文二十三
 
 
    長男義信が初陣。
 
 
12
 
    長女が北条氏政に嫁ぐ。
1555
弘治元
7
19
    第二回川中島合戦
1557
弘治三
 
 
甘利昌忠が信州への出陣にあたり、本殿の扉に金箔を押す。  
 
 
 
 
拝殿の修築工事が完了する。  
 
 
 
 
    信州への出陣にあたり、窪八幡の「天狗」を再興する。
 
 
2
18
「牟クワ神」の社殿が檜皮葺される。  
 
 
8
 
    第三回川中島合戦
1559
永禄二
7
29
惣門が檜皮葺される。  
 
 
10
18
本殿背後の八本杉から煤色の水が流れ出る。  
1560
永禄三
1
1
普賢寺の土蔵が焼失する。  
1561
永禄四
9
10
    第四回川中島合戦
1562
永禄五
6
 
    勝頼が高遠城主になる。
 
 
7
 
狛犬が彩色される。  
1563
永禄六
 
 
鐘楼・鳥居が檜皮葺される。  
1564
永禄七
8
24
    第五回川中島合戦
 
 
11
13
    織田信長の養女が勝頼に輿入れする。
1565
永禄八
8
 
放生会が執行される。  
 
 
9
23
狛犬に玉眼が施される。  
1567
永禄十
10
19
    長男義信自刃する。
 
 
 
 
   
1568
永禄十一
 
 
   
1571
元亀二
 
 
    この年2-3月に勝頼が高遠より甲府に入る。
 
 
12
 
   
1573
元亀四
4
12
    信州駒場にて没する。
1574
天正二
3
5
  高遠にて没する。
1575
天正三
5
21
    設楽原にて織田・徳川連合軍に破れる(長篠の戦い)。
1581
天正九
12
24
    甲府より新府城(現在の韮崎市)に本拠を移す。
 
 
 
 
社地が鳴動し、本殿背後の八本杉の一本が枯死する。  
1582
天正十
3
11
    天目山の麓、田野にて勝頼自刃し武田氏は滅亡する。
 
 
4
19
徳川家康、社領を安堵する。  
1583
天正十一
9
30
徳川家康、末社の天神社社領を定める。  
 
 
2
19
大久保長安、社領を安堵する。  

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